東京は神田区(現・千代田区)末広町で山口明治郎が山口印刷所を創業。通称テキンと呼ばれる手動式の平圧印刷機1台で事業を開始した。
テキン
1923(大正12)年には、明治郎の仕事が軌道に乗り始めた頃、思わぬ天災に見舞われる。同年9月1日、相模湾を震源とするマグニチュード7.9、震度6の地震が発生。東京だけでも、約20万戸の家屋が全壊もしくは全焼するなど壊滅的な被害を受けた関東大震災である。
「山口ニュース」
1940(昭和15)年、鉄道会社は京成電気軌道(現・京成電鉄)がきっかけだった。当時、上野にあった同軌道の本社に明治郎は日参、社員の名刺の印刷を請け負ったのを皮切りに徐々に仕事の範囲を広げていき有価証券でもある鉄道乗車券の印刷を受注するようになった。その後も小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)からの仕事が入るなど、乗車券を印刷する会社の一角に食い込んでいった。
製版部活字棚
1942(昭和17)年、戦時下(写真4)の陸上交通事業調整法により東京横浜電鉄(現・東急電鉄)は、小田原急行鉄道、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)、さらには1944(昭和19)年には、京王電気軌道(現・京王電鉄)を相次いで吸収合併、いわゆる「大東急」と呼ばれる鉄道会社が誕生した。これを機に当社の乗車券印刷事業も一気に拡大した。当社は昭和に入り、鉄道省の許可を受け「IGR」を模した、「JPR=JAPAN PRIVATE RAILWAY」の私鉄共通地紋を考案。80年近く経った現在も一部の私鉄ではこの地紋が広く使用されている。
「JPR=
JAPAN PRIVATE RAILWAY」の
私鉄共通地紋
1945(昭和20)年3月10日未明、アメリカ軍による空襲で東京の10万戸以上が焼失。当社の本社・工場も被害に遭うも、幸いにも印刷機は難を免れた。京成の招きで当社に上野公園(現・京成上野)駅の構内を提供してもらう。焼け残った機械をここに設置し乗車券の印刷を早期に再開することができた。
1948(昭和23)年、大東急から小田急・京王・京浜急行が独立。当社の取引先も同時に広がる結果に。1949(昭和24)年9月には、本社・工場を京成の日暮里~新三河島の高架下に移転。
1951(昭和26)年、組織を改め山口証券印刷株式会社を設立、初代社長に山口明治郎が就任。
1956(昭和31)年、創業の地、神田に分工場を設置する。これは鉄道の乗車券をめぐる環境が自動券売機の登場で大きく変化し、これに対応するための設備投資でもあった。
西日暮里本社
西日暮里本社工場内
昭和30年代西日暮里
昭和30年代硬券検査
西日暮里本社製版
1956(昭和31)年、当社も明治郎を中心に自動券売機の開発に着手。横浜のメーカーとの共同開発で「単能式」を開発した。古参社員の記憶などでは一時期、東急電鉄の駅に設置したとの話も残る。同年、新設された神田分工場で、東急電鉄向けに「単能式」の軟券乗車券を印刷を開始。
明治郎と巻紙発券機(1957年)
1958(昭和33)年、文京区湯島に湯島工場を新設し、手差しの平版オフセット印刷機を設置した。同工場では日毎に増える軟券印刷に対応すべく主に乗車券など大判の有価証券の地紋や、バスなどの回数券・食券・入場券などを昼夜兼行で印刷していた。
湯島工場前
チケット機
硬券検査
山口一郎が社長に就任する。
1962(昭和37)年、父・明治郎の死去で2代目社長に就任。
1962(昭和37)年 特に東京の地下鉄はすでに全通していた銀座線・丸ノ内線に加え、1961(昭和36)年には日比谷線の南千住~仲御徒町が開業するなど新たな時代へと突入。これを受ける形で当社は関係会社、帝都交通印刷(株)を設立。帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)の硬券を専門とする印刷会社には、國友鐵工所製硬券印刷機5台に加え、B型乗車券用の巻紙に地紋を印刷する機械などを設置した。
地紋のみを印刷した巻紙が新たに必要になり1971(昭和46)年、湯島工場を山口ビルの神田工場に統合し、感熱式ロール乗車券の印刷を開始。その後、その後製紙メーカーと共に開発した磁気化にも対応。
巻紙
1986(昭和61)年、当社は定期券磁気化に伴い、新たにカード部門を設立。PETカード打ち抜き機を導入。同時に自動改札機、駅頭での定期券発行機の両メーカーと当社が手を携え、新たな交通システムの開発に取り組んでいった。
1982(昭和57)年12月、電電公社(現・NTT)が公衆電話用プリペイドカード「テレホンカード(テレカ)」の発売を開始。これをきっかけにカード化に向けた流れの中、当社もこれに対応する動きを求められた。
1986(昭和61)年、東急電鉄が記念券に初めて「VISMAC(ビスマック)カード」を使用。日本信号とパイロットの2社が共同で開発した製品は厚く、「砂鉄窓」を持った特殊な仕様のため、オフセットカラー印刷機での製造は困難を極めた。その中で当社は製造部門を拡充し神田工場の2階を改装し連日テストを繰り返し、製品化することに成功。VISMACカードは全国の様々な企画で採用されることとなった。主にマースエンジニアリングが開発したシステムを活用したパチンコ業界で爆発的に増えていった。
ビスマックカード
1988(昭和63)年10月1日、小田急電鉄はプリペイドカード「ロマンスカード」の発行を開始。自動券売機にカードを挿入し、きっぷを購入する方式で、当社は小田急沿線各地のイベントに係わるオリジナルデザインの制作を主流に、券面のデザインから専用袋の印刷までを短期間で納品できる体制を社内で整えていった。この他、西武鉄道(レオカード)・日立電鉄などからもプリペイドカードの印刷・製造を受注。各電鉄会社はこれまでの紙による記念乗車券から、各種の記念プリペイドカードを発行。全国的にプレミアムがつくほどの人気となっていった。
ロマンスカード(小田急)
1989(平成元)年、元号の改元により、「平成2年2月22日」など同じ数字が並ぶ日の入場券、乗車券が人気になる。感熱式では時間の経過とともに券面が消えコレクションとして保存ができないため、あらかじめ印刷された記念券(硬券・軟券・短冊型軟式乗車券)が復活。
また同年カード印刷の量産化に対応する為にハイデルベルグ社製「GTO-F 4色印刷UV乾燥システム」を神田工場へ導入し運用開始する。
GTO印刷機
「七・七・七記念入場券」
1995(平成7)年 東急電鉄
「小田急11.11.11 69駅入場券集」
1999(平成11)年 小田急電鉄
1990(平成2)年、企画・デザインの版下部門を強化。MacⅡFXを導入し、地紋等のデザインデータをDTPで制作することで、カラー化への道をつけた。
MacⅡFX
1991(平成3)年、デザイン版下部門の拡張に伴い、一連のDTP関連の機器を移設。
1992(平成4)年、西日暮里2丁目に第二工場を新設。神田工場の機能全てを移転。
1994(平成6)年2月イメージセッターを導入しデジタル製版の出力を開始。同年、磁気プリペイドカードの品質保証のため、磁気記録検査装置を導入。これ以降、モノづくりの品質保証に対する証跡を残す概念が築かれていくことになる。
1995(平成7)年抜き位置カメラ補正付き加工機をラインに組み込む。
SAN-OFFSET_220E
抜き加工機
カード検査
1994(平成6)年4月1日 京浜急行電鉄が「ルトランカード」の発売を開始。
D-TR1035
ルトランカード 京浜急行電鉄
山口一郎は代表権を持つ会長に就く。
1999(平成11)年2月、首都圏の鉄道事業者は、「パスネット」システムの導入の検証を開始。当社はパスネットカードを生産するため、1999(平成11)年5月埼玉県八潮市南後谷に埼玉工場(生産・開発事業部)を新設。本社工場と第二工場を統合する形で移転。
セキュリティ管理が徹底した同工場では、硬券印刷をはじめとした乗車券印刷から、巻紙輪転印刷・カード印刷・後加工、研究開発及び検査まで全てを統合した運用が開始。
2000(平成12)年10月14日からパスネットの運用が開始。
埼玉工場
パスネットカード
カード検査・抜き加工
スクリーン印刷機
2002(平成14)年、B2対応コーター付き5色機を導入。
同年、仕上がりカード印刷の生産性向上のため、カード専用5色機を導入。本社ではRIP処理システムを導入し1bit運営を開始。そのシステムに合わせ工場はCIP3対応・サーマルプレートCTPシステムを導入。印刷現場での見当精度の向上とインク濃度を可視化でき、精度と生産性が向上。同時に本社と埼玉工場間を結ぶ印刷データ通信サテライトの運用を開始。本社ではデジタル上で疑似網点を形成できる「DDCP(デジタル校正)」が本格的に始動。印刷機械に合わせた色を再現、よりスピーディーな校正出力も可能となった。
CTP
CIP3
2003(平成15)年、本社を発祥の地である千代田区外神田に移転。同時にインセンクス事業部を開設。企画からマーケティング・ディレクション・デザイン制作・web制作・画像合成まで様々なジャンルの仕事に対応できる入口として体制を整えていった。
2004(平成16)年、3次元デザインを本格的に開始、立体制作と3DCGによるレンチキュラーレンズを用いた立体印刷事業に取り組む。同年インセンクス事業部は海外IT系ブランドの日本向けプロモーション周りのカタログ・ポスター・サイン・説明書など全てのデザイン制作、製造工程を指示するプリンティング・ディレクションを担当。
2008(平成20)年 Web to printを開始。電鉄系広告代理店からの依頼で、webからの発注に応えて24時間印刷受注対応可能なシステムを開発。
海外ブランドの製作物
2009(平成21)年、当時、海外IT系ブランドのギフトカードの日本国内でのコンビニ販路展開に向けて国内製造会社の可能性を探っていた。インセンクス事業部の数年間での制作実績とつながりがあった関係もあり、製造の要請を受け1年以上の歳月を経て製造認可を取得。
2010(平成22)年ドイツ・ビュルケル社製の「ヒートプレス機」を導入。自然環境に配慮したバイオマスプラスチックカード「ECO-CR」の登録商標を取得し本格的に製造を開始。
ヒートプレス機
ECO-CRカード
2010(平成22)年、POSAカードが事業の柱の1つに。アメリカで開発されたこのカードは、Appleに続きインコム・ジャパン、任天堂、ソニーなどからの受注も急増。このカードを採用する企業が増え、日本全国のコンビニ販売を中心に広く世間に広がっていった。
「POSA」は日本ではインコム・ジャパンの登録商標です。
2014(平成26)年、本社のビルを新築。8階建てのビルの各階は、セキュリティ面を考慮した建屋として、機能面においても多様性、柔軟性を重視したビルとなっている。
5Fラウンジ
需要が高まった決済用カードの製造認証を得る為に、国際基準である「PCI DSS」を取得。
2017(平成29)年には、インセンクス事業部内クリエイターが中心となるプロジェクトでデザインステーショナリーブランド「クンペルKumpel」を立ち上げ。弊社ならではの「きっぷ」をテーマに据えつつデザイン性を追求し、従来の鉄道グッズとは一線を画す商品を展開している。
2021(令和3)年には「文房具屋さん大賞」のカード部門で1位、「日本文具大賞」デザイン部門グランプリを受賞するなど、雑誌やテレビ、業界紙で紹介されるまでに至る。
2018(平成30)年9月、経営理念の一つである「未来永劫存続すること」を目指すため、事業の多角化に乗り出す。後継者不在により事業承継先を探していた「株式会社萬印堂」(カード・ボードゲームを製造)の全株式を取得し、グループ内シナジーを追求しつつ事業展開を図る。
2019(平成31・令和元)年、特殊コードを活用した製品開発を開始。化粧品などのブランド商品のパッケージなどの模造品防止対策の為に特殊コードを印刷、加工。
萬印堂
2020(令和2)年から世界中を震撼させた新型コロナウイルス禍の中、「巣ごもり需要」でPOSAカードの出荷数が増加し、乗車券等の印刷物の売上の落ち込みを補う結果となった。当社はApple・任天堂・ソニー・Google・Amazonなど世界を代表する企業などから製造品質と信頼性が認められ、直接取引ができる会社として認識されている。
新型コロナウイルスは、鉄道事業そのものにも影響を与えた。このような状況下で鉄道各社と鉄道ファンとの橋渡しができないかと模索した結果、記念きっぷと鉄道雑貨のウェブマルシェ「きっぷと鉄こもの」を同年10月にオープン。
創業100周年を迎え、各種キャンペーン活動を開始する。